明るい未来は誰が作るのか

PerfumeのFuture Pop(12/12 横浜アリーナ公演)を見に行きました。

※ここから先はセトリネタバレは無いですが、今回の演出の感想とMCのこと軽く書いてます。具体的な演出については書いていないけど、以前と比べてどう思ったかを書いているので、これから見る方は見ない方がいいかもしれないです。万一被弾してもあまり痛くないと思うようにはしたつもりですが、それでも良かったら読んでください。

---

 

Perfumeはこの世の光。
神様、この世に三人を生んでくれて、出会わせてくれてありがとう…、三人がこの先もずっと幸せであるようにどうかよろしくお願いします…と終始願いながら見た。

歳を重ねることが楽しくて仕方ない、三人でいることが楽しくてたまらないと笑う姿が本当に美しくて、かわいくて、かっこよくて、憧れだ。Perfumeは少し年上のリアルに姉でもおかしくない年齢なので、そう言ってくれることが本当に希望に感じられるというか、嬉しい。仕事を全うする人間として、人生を楽しむ人間として、心から尊敬できるなと思う。


世界一かっこいいアルバムを引っ提げた、世界一かっこいいツアーだと胸を張って彼女たちが言ってくれると本当に誇らしい。彼女らが心から大好きな音楽を伝えようとしてくれて、私たちも楽しくて、みんな幸せ。ハッピー。私たち最高の関係性じゃないですか!ってこんな風に観客側だってPerfumeの力になれていると思わせてくれるところに彼女たちのファンを思いやる優しさを感じるのである…。

 

今回の演出については、広さをカバーする技術のバランスがちょうどいいと思った。

ワンマンは5年振りに見たけど、自分が当時感じた恐れは払拭してきたように思った。
当時、東京ドームの広大なステージで踊るPerfumeを見ていたら、三人が引き離されているようで悲しくなったし、広い箱を活かすための最新の技術も素晴らしかったけど、最新技術発表の場として使われるようになってしまうんじゃないかというような、主役としてのPerfumeの役割が潰されてしまわないか少し不安だった。特にドームで見たSpring of Lifeであ〜ちゃんが二人に支えられて立ち上がるところが三人離れているせいで一人で立ち上がってて、なんとも言えない寂しさを感じたのを覚えている。もちろん三分割されたスクリーン上では、見事にのっちとかしゆかが支えていたんだけども。

でもそんな不安が今回一切感じられなかったのは、やっぱりPerfumeとチームの努力だと思う。私が見ていなかった間もきっといろいろ、私たちに見えないところで考えて悩んで歩いてきたんだと思う。

 

とにかく、この先も彼女たちがずっとずっとずっと幸せでありますように。もしも今の形がなんらかの事情で変わることがあっても、三人が幸せであることだけは続きますようにと思ってしまうライブだった。

アーティストに対しこの先もパフォーマンスを見せてほしいと願うことや、グループを続けてほしいと願うことは、基本身勝手なエゴだと思ってしまう。相手もそれを願うときにだけ応援になることを忘れない方がいいのかなと思っている。だからこの先Perfumeがなんらかの事情で今と違うスタイルになっても、まず一番に彼女たちが幸せでいられる選択をしてほしいと思う。

ライブを見ていて、三人の絆に何度か涙し、普段お腹痛くなったときぐらいしか神に祈ったりしないのに、ああ神様どうか三人を頼みます〜なんて都合よく思ったりした。でも三人なら神様なんかに頼らなくても自分たちで未来を切り開いていくんだろうな。えらいよな。私もがんばろ。なんたって、私たちの未来は明るいもんね。

f:id:xx7491:20181215013537j:image

67種ブラインド販売なのにどっちもJPNだったよ!かわいい!

 

 

和菓子屋的 愛情表現

あの日友達のままでいる選択をしてくれた過去の自分にありがとう。
そりゃあ、友情の先に行けたならもっとずっと会う頻度も高くなっただろうし、互いを特別な存在として愛する/愛されるが叶えられたかもしれないけど、そんな可能性はものすごく低かったし、そういう気持ちを伝えたときに今の友情さえ壊れてしまった可能性だってあった。そして周りの友人たちがそれを機に腫れ物に触るようになってしまったら更に最悪で。私は仲間の空気だって壊したくなかった。


その代わり壊れない友情に賭けた。精一杯愛情に近い友情を注いだ。この先も完全に壊れないなんて言い切れないけど、この形を守っていきたい。精神的にも物理的にも距離はこれ以上縮まらないけど、今、この近さが私には大切な近さだ。たまにみんなで会ってしょうもない話ができたり、顔を合わせて笑いあえたり、安心して近寄れたりするぐらいが丁度良い。
今付き合っている人と幸せになってほしい。その代わり私は友達として仲間とあなたと一緒に幸せになりたい。
そんなことを愛情を詰め込んだ友情に込めながら思っている。この感情に明確な名前は付けられない。もうここからこの人だけを特別に愛したかったり自分だけを特別に愛してほしい感情に戻ることは無いだろう。

それでも、もし次に誰かを特別に愛したかったり自分だけを特別に愛してほしい感情だと思えたら、内省ばかりしてないでもう少し距離を縮める行動した方がいいなとは思う。今のところ一番好きなのは二次元の彼だが、果たして三次元の人間に対してそう思うようになることができるかな…。

 

ここまでなるべく感情にラベリングをしないことを意識して書いた。完全には無理だけど。

というのも、人間の感情は恋愛感情として好き、友人として好き、だけじゃなくて無数の好きの形があると思っている。それは同性でも異性でも。なのに、二次元の創作の場に触れるようになってから、登場人物の関係性を明確にラベリングしなければならないという状況を見て、地雷回避のためにはやむを得ないのかもしれないけどそこにものすごく違和感があった。

ってことをとある場所で書いたところ、同意してもらえた上で、お約束やテンプレ的な要素は気楽に食べられる駄菓子屋、私が考えていたことは文学の思想を汲んだ和菓子屋って言葉をもらった。すごく面白い表現だった。どちらの良さもあるけど、私はどちらかというと和菓子屋の方が好きで、和菓子屋になりたいと思った。もちろん駄菓子も欲しくなることあるけど。

そんなことを考えていて、上の文章を書いた。本当はもらった言葉全文載せたいぐらい。

 

ちなみにこの話はほぼ誰にもしたことが無い。超恥ずかしいから。自分からこういう話はしないけど、今度からは頑張ってみる…。こうして書いたらなんか自分の人生も面白いかもと思ったんで。

ここに書いたコミュニティに所属する友人に見られると誰のことかたぶんバレるんでヒヤヒヤするけど、この日記はきっとバレてないはず…。まあいいや、バレてたらこっそり教えてください。

半匿名だから言えることってあるよね。

f:id:xx7491:20181119020327j:image

 

 

 

パーソナルスペースが広すぎる

 

実家に戻ってしまったので地元の世界に引き戻されてしまったという感じがする。

仲が良い子たちとは地元から離れていようが、会う頻度が減ってしまおうが、なんらかの形でつながっているし、それで満足なのに。

いらん情報は母経由で来る。親同士が仲良くしている人が多いから、私の同級生の名前を挙げて、誰がどこでどんな仕事してるだの、結婚しただの子供が生まれただの、悪気無く欲しくない情報をくれる。そうやって私の話も筒抜けなんだろうなと思いつつ、そりゃよかったねで終わればいい話ならまだしも、最近連絡取ってないの?って付くときもある。

世の中には電話やLINEだけじゃない交流の仕方があって、例えばゆるく近況をSNSで知っているってつながり方の方が自分には多い。何年かネット上で近況は知っていたけど、ふとしたきっかけでそういえば元気?会おうよってなることもあるし、しばらく会ってないけど元気そうならそれで良いって時期もあるし、投稿を見ていると久しぶりに会っても考え方がお互いに変わっていてなんとなく話が続けられないかもって思う人もいる。って説明をするのが面倒だし、SNSやってるの知られたくないし、そういうコミュニケーションをわかってもらえる気があまりしないので、「なんとなく知ってる」という答えをすることが多い。

 

私は自分のことを詮索されたくないと思うことがとても多くて、自分でも厄介だと思う。美容院に行ってもスタイリングのこと以外なるべく話したくないし、服を買いに行っても聞きたいことは自分で聞くから話しかけられたくないと思っている。そういうことをしなければならないお仕事なのは承知だけど。

先日も美容院でトリートメントをしてもらうときに、シャンプーは何を使っているかと聞かれて、どういう理由でそれが知りたいのかわからなくて答えたくなかった。市販のとあるものと答えたところで、結局それならトリートメントすごく効きますよって話だった。効かないと困るんだけどなと思った。そのぐらい小さいことを気にしてしまう。

以前、明るい前職の先輩から、キールズの化粧品がとても好きで良くお店に行くという話を聞いた。理由は質が良いのはもちろん、カウンセラーさんが丁寧に話を聞いてくれてコミュニケーションを取れるのが好きということだった。一度先輩と一緒に行ったとき、確かに丁寧に対応してくれて付き添いだった私にも親切にしてくれた。けど私はエネルギーと覚悟を溜めてからそれを振り絞るようにしないと行かれないなと思った。

聞かれたくないことが多分他の人よりも多いんだと思う。損だとは思ってるけどどうにもできない。自分に自信が無いから根掘り葉掘りされるのが異常に怖いんだと思う。心理的なパーソナルスペースがものすごく広い。

 

そんなことを考えていたのも、今日マンションの入口で同級生にすれ違ってしまったせいで。同じマンションにいるのに中学卒業から全く顔も見なかったし、嫌悪とかじゃなくてお互いがまるで興味無いんで連絡も取らないし(そもそも連絡先を知らない)、ネット上だろうと知り合いかも?とお節介なサジェストもされないような人で、すれ違い際に顔を見て2秒後ぐらいに気が付いた。多分向こうも。そしてお互いに何事も無かったかのように通り過ぎた。ああ地元に戻ってしまったなと思う。地元が同じだけでみな友達、誰がどこで何してるかみんな知ってる、みたいな世界を否定はしないけど自分には息苦しく感じる。

ここまで愚痴ばかりになってしまった。

早く家を出るために頑張る。どうにも出来ないことや、変えられないことはたくさんあるけど、自ら動くことを大事にしないといけないなと改めて思った。

 

真面目の話

 

悩んでいる。

真面目だとめちゃくちゃ言われる。

緊張してるよねとめちゃくちゃ言われる。

でも私は真面目じゃないし、緊張しいではあるけど今はそこまで緊張してないってときにもそう言われる。ここ数年関わった人たちにめちゃくちゃ言われる。仕事の場合もそうでない場合も。肩の力抜いたら?って。

ついには大学からの友人にもこの前言われた。仲良いのにかしこまるところあるじゃん?って。そう思ってたんかーい。

個人的には心臓バクバクレベルでもないのにそう言われる。真面目じゃないからこそある程度の緊張感を保っていないと自分を律してられないと思ってるしそういうラインってみんなあるもんじゃないの?と思いながら そうですね〜って答える。この前は利害関係があるわけでもない飲み会なのに初対面の人にまるで面接みたいって言われた。そうっすかって苦笑いしといた。てか友人に至っては緊張感とか無かったんだけど…。

真面目と言われることが嫌なのではなく真面目じゃないのに真面目だと言われるのが嫌だ。それと緊張しすぎて見えるのが嫌だ。それだけ。

 

本当はヘラヘラしててだらしない人間なので、せめてしっかりしなきゃと思ってるとこう言われる。力が入っているらしい。緩めればいいんだろうけど、緩め方というか緩んだように見せる見せ方が本当にわからない。面接で緩めたら最低限やるべきことも話すこともたぶん全部吹っ飛ぶし、飲み会で緩めたら空いた皿も下げないし、他人のグラスの様子もガン無視するし、そこまでは友人なら良いとしても更に酔ったらすぐ寝る自信もある。相手がこれからお世話になる人とか、親しくても年上の人とか、初対面の人にはどうしたらいいかわからない。頭は回転させながら身体を緩めるってどうしたらいいかわからない。身体と頭が分離してくれない。本当にお手上げである。

たすけてー!

 

って書いたらそんなこと考えてて真面目だね〜って言われんだよ、もう見えてんだよ、それって茶化したいから言ってるだけさで褒め言葉じゃないし、真面目じゃないんだってば、そういうのいらないからヒントをくれ〜。

 

ここまで書いてみて、真面目に他の人に助けを請うならお前がまず努力しろという声が自分の中から聞こえたので、ノートに解決したいことをもう一度整理した。

①なぜ真面目/緊張していると言われるのが嫌か

② ①で挙げた理由は思い込みでなく本当にそうなのかケースを挙げてなるべく客観的に検証

③真面目っぽくいる/緊張しているメリットは何か

④ ③で挙げたことは本当にそうなのかなるべく客観的に検証

⑤思い込みとデメリットを捨てて、メリットだけをいいとこ取りする具体的な対策を考える

 

過程を載せたくないのでとりあえず結論。

・ちゃんと話を聞いてちゃんと考える姿勢は変わらず取る

・劣等感を持ちすぎずちょっとぐらい抜けてていいと考える

・誰でも間違うので怒られたら次にすぐ切り替える

・振る舞いや仕事や考え方は過去の事例を学ぶしかないし経験あるのみ

・呼吸を深くするなどして身体の力を抜くようにする

になった。

次にすぐ切り替えるのもわかっちゃいるけど時間かかる。時間掛かるのを受け入れるしかないのか。あと身体の力を取る具体案がわからない。教えてください。他にもいい方法あったら教えてください。

 

身体の力で思い出したけどジレンマの「膝の力抜きなよ」って歌詞は肩の力じゃないのかなといつも思っている。どう思いますか?

 

お前なんかに教えてあげませーん!

 

 

 

ライブは生きている

 

しまなみロマンスポルノのこと。

自分のための備忘録なので、9月9日に参戦予定だった私の行動とそのときの感情を時系列で並べただけです。

 

9日に参戦だったので、当日東京から新幹線に乗り込んだ。東京はよく晴れていた。前日は楽しみで落ち着かなくて眠れなくなってたら寝坊して待ち合わせ時間に起きた。新幹線に間に合ったのが奇跡でした。(ほんとごめんなさい)

 

しかし現地は豪雨だの、ついには避難警報が出ただので、友人とずっと窓の外を見て心配していた。窓の外は降ったり止んだりで、岡山は雨だったものの、福山近辺はほとんど降っていなかった。だから豪雨が信じられなかった。信じたくなかった。前日もそうだし、このぐらいの雨ならいけるでしょと思いたかった。

 

Twitterの公式アカウントには中止にしてください!とか早く決めて!のリプライが溢れていて、中止すべきというのが圧倒的にまともな判断なのはわかりきってたけど、お願いだからやってほしかった。

運営側からしたら冗談じゃないって話だけど、ここで死ぬなら本望だよと思った。バカみたいなのはわかってるけど、そう思ってた。

 

福山で降りて、友人がお手洗いに行く間にいた待合所で、スポーツ報知が流した「中止」の文字を見てしまった。

覚悟はしてたけど、涙が出た。

こんなに悲しいことがありますか。

 

あと2分で新幹線が出るので友人が帰ってきた。急いでエスカレーターに乗った。友人にいつ言おう。

新幹線に乗り込むために並んでいた人たちはまだ気付いていないみたいだった。

エスカレーターを上ってから、友人に中止だってと伝えた。

 

いやでもまだ公式発表じゃないし、間違いかもしれないし(失礼)って思って、新幹線に乗り込んだけど公式TwitterやLINEからも発表が来てしまった。もう間違いでもなんでもなかった。

乗客はほとんど全員が新幹線に乗ってまで来るようなポルノファンなものだから、車両全体から悲しみと戸惑いの声が聞こえた。

誰も悪くないけど、だからこそどこに向ければいいのかわからない悲しさだけが溜まっていった。

 

流されるままに新尾道で降りたら、これから駅を出る人と帰ってきた人でごった返していた。どうしようか考えていたら、「物販とフードエリアに行く方、バスはこちらです!」と係の方が案内してくれていた。

もうとりあえず行けるとこまで行こうと乗り込んだ。

 

バスでは聞き覚えのある声がして車内が静かになった。しまなみテレビの特別音声だった。でも、みんな悲しくて、はっさくメガネとメンバーがせっかく盛り上げてくれているのに、車内はずーんと重たい雰囲気だった。

乗客同士仲良くなれるように、隣の人に挨拶しましょうとか、初めてきた人は拍手!とか参加型の企画も組んでくれてたのに、誰一人何もしなかった。誰も悪くないし申し訳ないけど、本当に車内がお葬式だった。三人の嬉しそうな声が更に悲しさを加速させる。この人たちの音を1mmも聴けない、会えないという現実がのしかかる。

ライブは生き物って言うけど、ライブが死ぬってこんな気持ちなんだなって思った。

 

バスを降りてポンチョを引き換えた。

元々自分の分はポンチョ無しにしていたけど、仕事で参戦が難しくなった友人のチケットを預かっていたので引き換えた。

その子の魂も預かってきたはずだったのにな。

一着は友人の好意で譲ってもらったので早速着替えた。

 

グッズコーナーでバルーンを買った。

きっとみんなのカープで飛ばすはずだったんだろうな。青空に飛ばしてみたかった。使う日はもう来ないのに、ここに来た証が欲しくて買った。

 

フードエリアに行く前にお会いしたかった方とお話をした。たくさんの優しさをありがとうございました。現地情報にどれだけ救われたか。次は楽しい話をたくさんしたい。

 

足元が田んぼみたいになったフードエリアでご飯を食べた。お店の方はどこから来たの?って心配してくれた。雨足も強くなる中、写真を撮りまくって思い出作りに奔走した。

 

15時ごろにはフードエリアも閉鎖するということで泣く泣く外に出た。そりゃそうだ。撤収の方たちも大変なんだから仕方がない。

 

出口付近でははっさくんとポルノの写真のパネルがトラックに乗せられて撤収する間際だった。その日初めてポルノの二人の顔をちゃんと見た。因島を背景にした素敵な笑顔だった。

傘をさしたちびっこが「はっさっくん、はっさっくん」と歌いながら横を通り過ぎていった。

 

避難勧告の中、フードエリアと物販開けていたことに対して非難もあるみたいだし、ごもっともだと思う。でも結果論でしかないけど私はここに来れて本当に良かった。彼らが私たちに見せたかったものをほんの少しだけでも見れたことで救われた。それだけでもありがたかった。この気持ちは二日目だけの参戦で、全くライブを見られなかった人にしかわからないと思う。

f:id:xx7491:20180911135120j:image

f:id:xx7491:20180911135116j:image

f:id:xx7491:20180911135033j:image

f:id:xx7491:20180911135044j:image

 

会場を後にして新尾道から尾道へ向かった。行きたいとずっと思っていたけどこんな形で叶うとは思ってなかった。商店街はやはり同志の皆さんがたくさん歩いていた。

レトロなおもちゃ屋さんや、お洒落なカフェ、まさかのゲストハウスなど新旧入り混じる楽しい空間だった。商店街に泊まるって楽しそう。

 

その後、雨足が強まってきたので再びポンチョを着て、猫の細道へ行った。雨だからか誰もいない急斜面を登った。迷っていたときに、飲食店のお兄さんが心配してくれて看板の見方を教えてくれた。そして「噂の雨など降らぬのポンチョですね」と話してくれた。

初めは普段使いできないから買うつもりがなかったけど、こうして会話のきっかけになってくれたしポンチョは良い思い出になったなと思った。時間が限られていて立ち寄れなかったけど、次はお兄さんのお店にもゆっくり行きたい。

f:id:xx7491:20180911141536j:image

f:id:xx7491:20180911135233j:image
f:id:xx7491:20180911135236j:image
f:id:xx7491:20180911135240j:image
f:id:xx7491:20180911135246j:image
f:id:xx7491:20180911135229j:image

 

崖を降りてロープウェイ駅付近のお土産屋さんに立ち寄った。

ポンチョを着ていたので暑くなってしまい、はっさくジュースを頂いた。かき氷みたいに細かいジュースで出来た氷が入っていて、最後まで甘酸っぱくて美味しかった。

ここでも「今日は残念でしたね。どこから来たの?」と店員さんが心配してくれた。優しい。

18時近くになると付近のお店はどんどん閉まっていくようで、有線の蛍の光が流れていた。

商店街に戻ると同じくだんだんと閉まっていくようで、20時や21時閉店の小売業に従事していた身からするとなんてホワイトなんだと感動した。

 

バスに乗って新尾道まで戻った。

駅の売店に入るとヒトリノ夜の最後の方が流れていて、すぐにミュージック・アワーが始まった。たぶんベストを流してくれていたんだと思う。本当ならMアワも聴けたのかなと思うとまた悲しくなって、明るい曲なのに半泣きになりながら、しまなみドルチェのジェラートを買った。(瀬戸田レモン味、さわやかで美味しかった)

 

元々予定していた新幹線に乗りこむと思っていたより車内が空いていて、早く帰った人も多かったのだと思った。

 

福山で乗り換えてからTwitterを見ていた。セトリが書いてあるツイートは見る気持ちになれなかった。1日目の感想ツイートだって読む気にならなかった。

またいつか同じセトリでやってくれる気がして読みたくなかった。

 

一眠りして新横浜あたりで目が覚めたら、公式からもセトリ発表されていて、もう死んだものは生き返らないんだなって改めて感じ、セトリと感想を読み始めた。二人の笑顔がとても良かったって声がたくさんで、ほんとに故郷が大好きなんだと思った。

尾道市を協力につけ、故郷のテレビ局を四局も後援につけるポルノは間違いなく故郷の誇るロックスターだし、そんな故郷を思って被災地支援をし、何より初めから満面の笑顔になってしまうほど故郷を誇っているロックスターなんだと実感した。

一緒に笑いたかったな。

 

地元に帰って友人と別れ、帰宅した。

母がポルノファンなので一通り話をした。弟がよくわかってないのに「悲しいことも楽しいことに」などと言い出してなぜかよりによって「ラララ ライ!」と藤崎マーケットのネタを始めてしまい、ライラを思い出して逆効果だった。ライラも…聴きたかった…。

 

そんな感じで私のロマポルは終わった。

ライブは死んでしまったけど、誰も悪くないし、また新しいライブが生まれると信じて彼らを応援し続けます。と言えるぐらいには回復した。

ポルノで空いた隙間はポルノにしか埋められないから、そのときまで待ってます。

f:id:xx7491:20180911141558j:image

 

誰かの息遣いという意味のブレス

 

ブレスの感想です。私が感じたテーマは主に3つ。

①世間的に良いと思われる一面だけで人間は生きていけないということ(それを受け入れること)

②一歩進むことの必要性

③一人きりではないということ

 

メインテーマが①,②で、③は一切言葉にされていないけど音に仕掛けられている感じ。あえて言葉にしないことで、①②がちゃんと映えるのかなと。音楽っていいなとこういうときに思う。

 

この3つの軸で思ったことを書いてみます。

 

①世間的に良いと思われる一面だけで

人間は生きていけないということ

(それを受け入れること)

・人間の中にある要素とその比喩になる反対語の並列(ポジティブとネガティブなど)

・肯定の言葉(君はもう十分頑張っている など)

の二つでこのテーマが成り立っているのは明白なので細かく書かないけど、レトリックとして、最後のたたみかけ倒置法比喩がおもしろいと思った。

「晴れた日も雨の日もあるように」

「朝と夜が今日も巡っていくように」

「出会いとさよなら繰り返す旅人のように」

って終わる。終わっちゃう。

「旅人のように」なんなんだ。

 

たぶん順番的に通じるようにしたらこうだと思う。

「晴れた日も雨の日もあるように

朝と夜が今日も巡っていくように

出会いとさよなら繰り返す旅人のように

メロディは音符と休符が作る

ブレスの出来ない歌は誰も歌えやしない」

しっくりこないけど。最後にたたみかけられると説得力があるのはどうしてなんだろう。

晴一先生、どうしてなんでしょうか。

 

②一歩進むことの必要性

二番が自分の道を行きなさい、未来は迎えには来ないけど待ってるよってメッセージなので、ちゃんと自分の足で歩けって言ってくれるところがポルノっぽくて好き。

ポルノらしさってなんだろうと考えたときに、そのひとつとして背中の押し方のことを書いたけど、今回も当てはまってると思うんですがどうでしょう?

背中の押し方 - 名もなき日

 

③一人きりではないということ

「ブレスのできない歌は誰も歌えやしない」って歌詞からタイトルが来ているはずだけど、誰かのブレスでもあるのかなと思う点がいくつかあった。

・鳥の鳴き声のようなイントロの一番初めのギターの音

・サビ前の軽いパーカッションの音

→「何か変えろと迫られ」の後や「壮大な旅の途中さ」のバックなど

・間奏の声のような音

・最後の子供たちのコーラス

全部音なものだから、伝わるか不安だけど、ここに挙げたものは、聴き手でもストーリーテラーの昭仁さんでもない誰かの気配や息遣いだと思う。気がする。

①,②で示した、聴いてる人をまるごと肯定してくれて、一歩進む勇気をくれる歌っていうのがメインテーマだと思うけど、それを支えるポイントのひとつに、見守ってくれている誰かの息遣いが聞こえる。言葉にされてないから、本当のところ、そういう意図を持って作られたかは正直わからないけど。

もしこれもテーマのひとつだったなら、ポケモンの映画のコピーになっている「一人じゃできないこともキミとなら」とうまくつながっていると思う。

どんなに自分は一人だと思ってても、たった一人の力では生きるのは出来なくて、そこにはキミの力が必要なんだよって隠れたメッセージ。

でもそこを文字通り「一人じゃない」とは一言も発していないのがメインテーマを潰さない工夫なのかなと思う。

 

そんな感じです。

他の曲聴くと頭いっぱいになると思って書き終えるまで聴けなかったけど楽しみ!

ライラ!海月!ロッキン!

(たたみかけてみた)

 

比べるという病

幸せってなんだろう。

ご飯が食べられること、よく眠れること、仲良くしてくれる人がいること、好きなものを愛せること、絵が描けること、歌えること、笑えること、好きな服が着られること、など。

たくさんあるのにね。

 

私は誰かと比べては出来ていないことを見つけ、それらが全く受け取れなくなることが多々ある。

仕事ができない、絵が下手、魅力がない、したいことができてない、描いていた将来にたどり着けないなど。

そんなの、全部叶えている人なんてそう滅多にいないことも知っている。

 

誰かよりなにかができることに幸せを感じるわけではなく、あくまで自分が納得したら幸せ。

そのハードルは高い。もっと出来るはずって気がしてしまう。自信が無いくせにしたいことを諦めきれない。

非常にめんどくさい。

 

したいことは全て叶えたい貪欲さと、一つでもうまくいかなければ自信を失う完璧主義と、諦めの悪さを飼いながら生きてきてしまった。

良く言えば向上心の塊。

悪く言えば自己否定の塊。

 

小さな幸せを大事にすることが大切で、自己肯定感の積み重ねをしていこうと昔から取り組んできた。

心理学についての話を片っ端から読み漁ったこともある。

ありのままを受け入れる、愛されたいときは自分から愛す、自分を幸せにできるのは自分しかいない、など大事な考え方に出会えた。

 

そこから、出来ることはやっていこうと学生の間も取り組んだものの、自分の内なる批判の声がどんなときも響いていた。

そのまま大人になってしまって、批判の声がどんどん大きくなるようになってしまった。

 

比べるのをやめればいいと思う。

でも比べるのをやめたら、本当に幸せなのだろうか。

向上心まで失うのではないか。

それがなくなったらもっと堕落していくのではないか。

自分を蝕む病巣と自分を自分たらしめている根幹が癒着しているように思う。

だからそれを見て見ぬ振りをするために、叶わないものを諦めるために、もっと前に進むために、ハードワークをしていたように思う。

 

 

何度も起こる同じような問題は、自分の成長を知るための試練という考え方もあるらしい。

ここを乗り越えるために何をすべきなんだろう。

 

がっかりしたかい?

小僧の僕 マイケルにはなれなかった

ああ ただ僕は 大好きな幸せの種を手に入れた

 

って言うけどさ、

マイケルになりたくて諦められなかったら

どうしたらいいの