名もなき日

Amore é mistero!

女になれない、ならない、なりたくない

 

自分の気持ちを正直に書きます。

ここは自分のためのログだから。

 

男になりたいと最近思ってたけど

生まれたときから女で

そこに違和感はない。

身体と性別が合わないわけではない。

自分が生きてきて解釈した女の役割や

女の立場を背負うことに

全てではないがすごく違和感もある。

しかし自分の解釈した男の役割や

男の立場に自分がなるのかというと

同様に違和感がある。

 

あくまで自分の解釈だからこの先

変わることもあるだろうけど。

自分の解釈だからその解釈を変えれば

生きやすくもなるだろうけど。

20年以上積み上げ続けてしまった

世間の常識や固定概念の合わさりや

自分の思い込みがそれを作り上げているので

新しい解釈で自分という存在の役割や

立場を目指したいとふと思った。

 

うまく言葉にできない。

 

 

私の解釈した女の立場の一つに、

肉体的弱さを抱え、

男に抗えないというものがあった。

鍛えれば解決なんだけどさ。

今の自分は事実弱い。

 

精神的にも肉体的にも、嫌な物には

立ち向かえる強い人が

目指す者かもしれない。

鍛える一択だなと書けば書くほど思うわけだが。

 

武装でそれを克服したい人を

最近ネットでよく目にするんだ。

パターンとして、

いわゆるボーイッシュな格好をする他に

強い女の格好をするっていうのもある。

巻き髪、強めメイク、派手ネイル。

強そうな服装。

おかしな奴が近づかないように

強い格好をするっていうやつ。

威嚇。防衛。

 

自分はというと最近はその両方を

行ったり来たりで、

髪は一年前からショートで

でかい帽子にスキニーデニム、

ロング丈のコート、

休みのときはそこな赤ネイル

赤リップインパクトあるピアス、

ってかんじで、

かわいくてかっこよくて

強くなりたいっていうのが

近いかもしれない。

どこか中性的でもあって、

それでいて強くて優しい人。

 

たぶん異性としても魅力的だと思う対象を投影してる。

でもそんな人隣にいてくれないから自分がなる。

こんな人が隣にいてほしいって人になる。

 

あーあ、恨めしいほど自分は女なのだ。

結局。

どんな人間になりたいかという像と、

求められている性別の役割は

今日もどこかで被りながら

どこかで乖離している。

 

.

もしも女に求められる役割が男と

付き合って子供を残すことなのだとしたら。

無理だなと思う。

基本的に恋愛対象にされるのは

吐き気がする。恐怖である。

同じこと自分が言われたら傷付くと思うけど。

事実だし。

ここは好き勝手書くと決めたから書くんだよ。

まあ二次元や絶対に届かない三次元は別だけどな!

夢女って言うんだってね、上等だよ。

そんな感じです。

乖離だなんだ言っといて結局女なんだよ。

 

女とは、男とはこうあるべきを押し付けずに、

強くて優しくて賢くて

おしゃれな人であるために

何ができるだろう。

 

 

鍛える?

 

 

.

 

そんなことある?

私は東京生まれの東京育ちだ。

初めての一人暮らしはたぶん大阪だ。

たぶんってなんだと思うが、

就職して一ヶ月家が無かった。

 

そんなことある?

 

初めての一人暮らしは大阪のホテルだった。

およそ一ヶ月泊まった。

この会社は代々それが当たり前で、

私は一ヶ月後に家が決まったが、

長い人は半年、一年と家が無かったらしい。

 

そんなことある??

 

大学を卒業した私は、

3月末に重いキャリーを引いて

とある中国地方の空港への

片道切符を手に家を出た。

次いつ帰れるかも

どこに住むかもわからないまま。

 

そんなことある???

 

いつの話?と思うかもしれないけど、

ちょうど4年前の話です。

お題の目的に沿ってないと思うけど

そんなこともあったなと思って

書いてみた。

 

まぁ実際、

ホテルもなかなか楽しかったよ。

 

 

なんちゃって遺書

 

※死んでません

※死のうともしてません

※生きてることは素晴らしいことと言いたいだけです

※大丈夫です

※フィクションです

※なんちゃってでの遺書なので気分が悪くなる方かもな方はどうか引き返してください

 

 

 

 

この文が読まれているときは

即ち私が死んだのでしょう。

 

全ての死を選ばなかった者は、本当にすごい。尊い存在だ。

私は全ての死を選べなかった人の気持ちを代表して死ぬ。

あなたたちのやりきれなさを全て背負うから。

家族のため、友人のため、死ぬわけにいかなかった。

死ななかった。

そんな人たちの悲しみや辛さに戦う力は本当にすごいのだから。

 

私は自分のことをずっと弱いと思っていた。

でも最近ものすごく強いのだとも思った。

でもやはり弱かった。

 

強い悲しみや痛みを感じる自分は弱いと思っていた。

でもそんな痛みの中で結局生きるしかない自分、やっぱり死ねない自分はものすごく強いのだと思った。

それでも今死を選ぶのならそれもおじゃんだ。

強さと弱さは背中合わせだ。

 

わたしが傷つくのは些細な言動である。

発した当人にとっては。

きっとそんな人にはこの死の意味など届くわけが無い。

まさか自分の言動で傷付いただなんて思ってもいないのだから。

 

悲しみを感じなくなるためなら、どんな幸せもいらない。

そんな世界に行きたくなった。

正直私は鬱病と明確に診断されていない。

かわいいレベルの希死念慮だった。

それでも他人の言動に一喜一憂して、やりたくない、逃げたいってずっと思ってて、こんなんじゃ生きていけない、考え方を変えなくちゃ、何から何まで改めなくちゃって本気で思っていた。

なら変えればいいと思うでしょ?

心療内科行ってカウンセリング行って上司にも出来ないことは相談していたつもりでした。

もう限界です。

生きていくのに向いていないのです。

そういう人間はいるのです。

必死に立ち向かってきた私は強かった。

例え成果が伴わなくても、生きてることはすごいのだ。

物事から逃げ回ってもいい。

生きることから逃げないという強さはすごいことなのだ。

同士よ、それを忘れないで。

あなたは偉い。

生きることから逃げないことは誇るべきことなのだ。

誰も褒めてくれなくても、私にはその価値がわかるから。

どんな物事から逃げたっていい。

死から逃げずに生きてるあなたは誇るべき存在だ。

 

 

どうか先立つ不幸をお許しください。

 

 

先述の強さを理解しなかった野郎ども、

全員地獄で爪研いで待ってるからな。

 

 

4つのハネウマライダー

 

Twitterより以下から続く一連のまとめ。



 

晴一さんはギターソロのアレンジを

あまりしない、とずっと思っていたし、

もう少しいじったのも

聴いてみたいと思っていた。

 

リリースの形が完成形で

それこそが素晴らしいという思いだったのか、

アレンジャーさんに気を遣っていたのか、

もっと複雑な何かがあるのか…

それはわからないけど。

 

台湾ライブのハネウマライダー

2:45からの15秒間に晴一さんの思いが

すごく詰まってると思った。

音がものすごくキラキラしている。

楽しんでいる。

見せつけてやろうとしている。

たぶんだけど、

このソロのメロディーも晴一さん自身が

考えたと思う。

晴一さんぽいから。

違ってたらすいません。

 

聴こえるサウンドだけでなく、

メロディーの両方にそれを感じる。

それがすごく嬉しかったし、

生でこれ聴けてたら嬉しさで

意識飛んでたのではないかと思った。

そのぐらい、晴一フィルターを

通してくれた音が嬉しいと思ったし、

感動した。

 

晴一さんが自分で成長したと思えたから

アレンジをしてくれたのかとか、

たまたま台湾だし、

たまには気分でなのかとか

全くわからないけど、

こういう音が聴けるようになった今、

ずっとファンでいてよかったと思うし、

これからまだまだ好きになっていける

余地もあることを実感している。

 

幕張ver.のように、

曲丸ごと別アレンジもいいけど、

ほぼいつも通りと見せかけて

(同じ演奏なんかひとつもないけど!)、

ひねりが来たとき、

不意打ちに弱いファンは

胸を打たれて倒れそうになる。

良い意味で。

今回のツアーでもそういうの聴けるのかな。

楽しみです。

 

 

 

コーヒーが飲めない

 

 

コーヒーが飲めなくなって
たぶん2回目ぐらいの冬。
凍える手を自販機に伸ばせども
温かいものはコーヒーばかり。
いつか治るのかな。

 

味が嫌いなのではなくて、

身体が受け付けなくなった。

頭痛、だるさ、めまいなどに

悩むようになってしまった。

昔は1日三杯とか飲んでたのに。

まさかそのせいかな。

 

コーヒーの味は好きだし、

甘いの飲むより太らないので

デカフェおよびカフェインレスのものが

あるなら飲める。

気休めかと思ったけど

明らかに調子が違うので、

原因はきっとカフェイン。

 

ただコーヒーより玉露の方が

カフェイン多いらしいけど、

お茶類で症状が出たことない。

プラセボの逆みたいなものだったりして。

やだやだ。

 

 

 

 

怒りのロジック

 

怒るのが嫌いだ。

 

職業柄人を率いるので、

ダメなときには怒らないと

いけないわけなんだけど、苦手だ。

場合によっては年上相手に

怒らないといけないのも日常茶飯事だ。

でもそのときに自分は

それだけの仕組みを作れているだろうか、

と内省してやめるときも多々ある。

 

 

怒られるのも嫌いだ。

最近はなぜ言った(指示した)のに

行為をした/しなかったのかと

言われるのが嫌だ。

なぜそれをしたかの

単純な理由じゃなくて、

なぜ自分は言ったのに

それをしたのかってやつ。

答えようが無い。

「してもいいと勝手に判断してしまいました」とか

「優先順位を勝手に判断してしまいました」

とか、そういうのが答えなやつ。

まあ、始めからする/しなければいいんだけど。

  

で、

上司にポイントをいくつか聞いて、

若手数人で怒る練習をした。

なんか特定されても嫌だし

あんまり書かないけど。

一緒にロープレした

温厚な後輩たちが結構怖かった。

 

怒れなければ舐められる。

そうだな、怒らないで許すのは

舐められる。

その通り。

 

でもな、怒りたくないんだ。

余程のことがない限り、

周りで聞いててもいい思いしないし。

実際働き始めてほぼパワハラのお怒りも

何度か間近で聞いたし。

そんな怒り方もされた。

自分が悪いことは何度もあるけど、

納得できないことで

ものすごい怒られ方をされたこともある。

そうなると周りのパフォーマンスも

びびって落ちる。

 

そういうのを目の当たりにして、

本当に自分だけが正しいのだろうかと

考えてしまう。 

 

でもやっぱりダメだと思う。

こういうところ。

人のこと指摘できないのダメだと思う。

人にも自分にも甘い。

 

だからやっぱり

仕事が苦手だ。

怒らなくていい仕事、無いかな。

なんにせよ、生きていれば自分自身含め

誰かに伝えなければならない。

 

 

そしてここまできて気付く。

 

怒ってばかりだった自分に。

そんな自分自身が嫌だと思っている自分に。

 

ほんの数年前まで、

私は毎日ものすごく怒っていた。

外で無意識にたくさん溜め込んで、

家でわかってもらえないことがあると

すぐに怒っていた。

 

怒りたく無い自分と

怒らなければ壊れそうな自分が

入り混じって苦しかった。

外でものすごく溜めた分、

ある程度わかってもらえる家では

怒りの許容値をあっという間に突破してしまう。

甘えだ。

そんなの周りにはわかってもらえないし

尚のこと苦しかった。

そりゃそうでしょう。

我儘なんだけど、苦しかった。

でも周りを何度も悲しませたのも事実。

 

家を出たのは

それが嫌だったってのもある。

誰かを傷付けたり、自分も傷付いたりは

もういやだ。

 

そうだった。

一人暮らし始めたら、

誰にも怒らなくなった。

最近は実家帰っても怒らない。

その代わり自分自身を怒る力が増した。

それもあって鬱の診断一歩手前まできた。

 

 

そんな思いがある。

 

外で我慢を溜め込むこの性格が嫌いだ。

 

自分自身の考え方を変えたい。

怒りとの向き合い方を変えたい。

穏やかに生きていきたいだけなのに、

なんかうまくいかないや。

 

 

 

うまくまとめられなくなってしまった。

おわり。

 

 

 

私は絶対に納得しない

 

 

 

 

クソだ

なにもかも

無くなればいい

失ってしまえばいい

ならいっそ私自身が

無くなったなら

ことの重大さに

気付くかな

 

私の存在の大きさとか

そんなことが言いたいのではなく

つらさの感じ方は人それぞれって

ことに、みんな気がつかないのか

みんながみんな同じようにおなじ

壁を登り続けることはできないと

なぜ気がつかないのか

 

そういうところまじふぁっく

 

しね