なんだかわからないけど何かが足りない気がする話

 

 

みんな何のために生きているのだろう。

 

私はもうお腹いっぱい。

全て楽しみ尽くしてなどはいないけど。

一人で叶えたいことは大体叶えました。

あとは他の人と

叶えなければならないんですが、

なかなか容易ではない。

声を掛けられるように

ならなくてはならないし、

何より自分のコンディションが

整っていなければならない。

 

後者もきつい。

気力が無になる。

あー、罪悪感。

誘ってもらってるのに答えない、

罪悪感。

 

他人の力が無ければ叶わないことなんか

どうせ叶わないんだから

早く死んどきたいって思うけど、

最近鍛えてる自己肯定感さんが

なんとか止める。

 

いやいや、そんなこと思っちゃ

ずっと叶わなくなるよ!

きっといいこともあるよ!

他人はコントロールできないものだから、

こっちはある程度構えておけば

それでいいよ!

対人関係の責任はこっちだけが

100%じゃないんだよ。

そんなに思い詰めないでね。

死なないで!

 

 

きっと自分の人生には何かが

足りないまま生きてきてしまった。
この世の大多数の人は生きる上で

早めに身につける大事なもの。
それでもこんな歳になってしまった。

そう、足りなくても生きていける。

そうなんだけど、

これ以上前に進まなくなる。

きっとこのまま衰えて死ぬんだ。

何かが足りない、

何かがつっかえている、

何かが無い自分に焦ってる間に

死んでるんだ。

いや、そうなる前にその前に

今のうちに殺しといてくれませんか。

私怖くてたまらないんです。

この先の人生、悲しいことばかりな

気がするんです。

なんのために生きてるか

わからないんです。

 

 

 

風を纏って勢いよく通過する列車に

飲まれたかった。

通り過ぎるまで目が離せなかった。

何を変えたら幸せになれるの。

何をすればいい?

誰に会えばいい?

どうすればいい?

 

 

 

 

いい人生にしましょう。

 

 

 

愛される恐怖

 

自ら愛することを恐れるなと言いますが、

自ら愛してその愛を拒否される怖さよりも、

私が愛することで嫌悪感を

感じてしまうのではないかという

恐れが強いのだと思った。

 

私は愛されることが怖いことに気が付いた。

なぜなんだろう。

愛されることは支配されることのように感じるのである。

愛する者の目は私の知られたくない部分を知ろうとすると思うととても耐えられない。

つまり、私はそうやって人を愛しているのだ、きっと。

知られたくない部分を暴くように愛しているのかもしれない。

そんな視線を向けたら相手だってさぞ嫌だろう。

 

と、自己嫌悪からの投影かと思ったけど、

向けられた視線への怖さは純粋に根底にあるとも思った。

 

幼い頃に向けられた視線。

逃げられなかった。

怖かった。

異性とは恐ろしいものだと思った。

化け物だと思った。

殺されると思った。

全て悪い夢ならよかったのに。

最近またトラウマが蘇るようになった。

背筋が凍る。

どうしたらいいんだろう。

 

あんなものは愛ではないと思えばいいのだろうか。

愛でたまったものか。

 

私はあんな視線を向けたりしない。

人間を壊すような一方的な気持ちは愛ではない。

恐怖で身動きできない人間を支配するものではない。

私は分別をつけられる。

私の愛は人を尊重するものだ。

 

世の中にはそれが出来ない人が案外多い。

一方的に自分の感情をぶつけてしまう人間があまりにも多い。

好きだけでなく、嫌い、怒りも含め。

吐き気がする。

お前はそれで嬉しいのかもしれないが、

楽しいのかもしれないが、

体格、年齢、地位など抗えない要素を

突き立てて一方的に詰め寄るのは

傲慢だ。

非常に狡猾。最低。

 

自分の感情だけ高ぶらせていたいなら

偶像を崇拝していてくれ。

 

きっと愛とはそんなものではない。

対象に死の恐怖を与えて

自らの快楽をなすりつけるものではない。

 

 

本当の愛を得られたら

愛の意味を知れるけど

その前にニセモノと間違えて

受け取るの拒否しそうだから

本当の意味を知れたら
それを得られるものだと思おう。

 

私は他人を尊重する愛を持つことができるし

きっと世の中にはそういう人がたくさんいるし

きっと会えると信じている。

私が見てこなかっただけかもしれない。

 

ほんと

なんで

私の名前は愛なんだろう、