"No one does it like you do"

 

 

退職した。

正式には有休消化中。

次の職は決まっていない。

突拍子も無い選択だったと言えば

そうだし、

2年考え続けてやっと

選択できたことだとも思う。

 

いきなり世間の連休と被ったので、

まだどこか仕事してない感覚が

薄くもあるけど、頭の中を整理するために

まるでまとまらない文を書く。

生きるってなんだろう。

私は何をしたいのだろう。

 

 

この休みの中で、

街ゆく人たち、

働きながら趣味を楽しむ人たち、

働くことを楽しむ人たち、

芸能を仕事にする人たち、

いろんな人が何を考えているか知りたくて、

活動を見たり、SNSを見たりしたけど

今まで見えなかった苦悩が

少し見えるようになった。

みんな一生懸命だ。

どうやって自分を売り込むか。

自分がしたいことをするか。

みんな真剣だ。

そういえば、自分を売り込むことが

四年前は本当に苦手だったなと

思い返したりもした。

 

ときには嫌なこともあるだろうけど、

自分のしたいこととすべきことを

バランスを取って、

すべきことをしたいことに

近付けながら進め続けることが

私にとっての生きる道なのだと思う。

 

やりたいことだけでは生きていけないとか

逃げるのかとかいろいろ言われたりもした。

私を思っての言葉だとも思うし、

その通りだとも思うし、

そんなのやってみなきゃ

わからないじゃないかとも思うし、

痛みに耐えられる度合いは人によって

違うんだから今は逃げさせてくれとか、

いろいろ思った。

2年間考えて決めた。

きっとやりたいこととやるべきことは

もっと近付けられると。

 

 

意を決して飛び出したけど

やりたいこととすべきことが

なかなか結びつかない。

叶わないことかもと諦めかけている。

諦めたくなくて、辞めたのに。

でも、本当に叶えたいことは

ベクトルを少し変えたり、

時間が経てば叶ったりするものだと

生きてきてわかったから、

絶対に諦めないようにする。

 

 

決して走った道は無駄じゃない。

私にとって大きな価値のある道だった。

今まで見たことがない道だった。

楽しいこともたくさんあった。

苦しいこともたくさんあった。

見つけたものもたくさんあった。

それでも進みたい道と

敷いてもらった道の開きが大きくなって

これ以上は走らないと決めた。

 

中学校を出て、みんなが進むように
高校に行き、まわりの大方が進むように
大学に行き、なんとなく納得いかないまま
まわりがそうするように就活をし、
今まで感じたことがないぐらい
身体が前のめりになりながら
風をきって四年間走った。
そんな感じだった。
一生懸命走っていれば、
忙しさに精一杯になっていれば、
その道を愛せるかなと、
言い方を悪くすれば
やりたかったことを諦められるかなと
思っていた。

 

ほんとはずっとずっと前から

何かが違うと思ってた。

高校を出るときには気付いてた。

心の中にあった行きたい道を
見て見ぬ振りしてきたけど限界だった。

それでも、ここに至るまでに来た道には

何一つ後悔はない。

 

叶わないと諦めてたから

多くの人が行く方向を探して

まわりを横目で見ながら生きてきた。

今、自分の走る道が

自分の周りの大多数と外れたとき

不安や焦りとともに少しの希望と

自由に生きている実感が湧いている。

 

 

みんな思ったより

道無き道を歩いているんだなと

やっと気が付けた気がした。

 

 

 

女になれない、ならない、なりたくない

 

自分の気持ちを正直に書きます。

ここは自分のためのログだから。

 

男になりたいと最近思ってたけど

生まれたときから女で

そこに違和感はない。

身体と性別が合わないわけではない。

自分が生きてきて解釈した女の役割や

女の立場を背負うことに

全てではないがすごく違和感もある。

しかし自分の解釈した男の役割や

男の立場に自分がなるのかというと

同様に違和感がある。

 

あくまで自分の解釈だからこの先

変わることもあるだろうけど。

自分の解釈だからその解釈を変えれば

生きやすくもなるだろうけど。

20年以上積み上げ続けてしまった

世間の常識や固定概念の合わさりや

自分の思い込みがそれを作り上げているので

新しい解釈で自分という存在の役割や

立場を目指したいとふと思った。

 

うまく言葉にできない。

 

 

私の解釈した女の立場の一つに、

肉体的弱さを抱え、

男に抗えないというものがあった。

鍛えれば解決なんだけどさ。

今の自分は事実弱い。

 

精神的にも肉体的にも、嫌な物には

立ち向かえる強い人が

目指す者かもしれない。

鍛える一択だなと書けば書くほど思うわけだが。

 

武装でそれを克服したい人を

最近ネットでよく目にするんだ。

パターンとして、

いわゆるボーイッシュな格好をする他に

強い女の格好をするっていうのもある。

巻き髪、強めメイク、派手ネイル。

強そうな服装。

おかしな奴が近づかないように

強い格好をするっていうやつ。

威嚇。防衛。

 

自分はというと最近はその両方を

行ったり来たりで、

髪は一年前からショートで

でかい帽子にスキニーデニム、

ロング丈のコート、

休みのときはそこな赤ネイル

赤リップインパクトあるピアス、

ってかんじで、

かわいくてかっこよくて

強くなりたいっていうのが

近いかもしれない。

どこか中性的でもあって、

それでいて強くて優しい人。

 

たぶん異性としても魅力的だと思う対象を投影してる。

でもそんな人隣にいてくれないから自分がなる。

こんな人が隣にいてほしいって人になる。

 

あーあ、恨めしいほど自分は女なのだ。

結局。

どんな人間になりたいかという像と、

求められている性別の役割は

今日もどこかで被りながら

どこかで乖離している。

 

.

もしも女に求められる役割が男と

付き合って子供を残すことなのだとしたら。

無理だなと思う。

基本的に恋愛対象にされるのは

吐き気がする。恐怖である。

同じこと自分が言われたら傷付くと思うけど。

事実だし。

ここは好き勝手書くと決めたから書くんだよ。

まあ二次元や絶対に届かない三次元は別だけどな!

夢女って言うんだってね、上等だよ。

そんな感じです。

乖離だなんだ言っといて結局女なんだよ。

 

女とは、男とはこうあるべきを押し付けずに、

強くて優しくて賢くて

おしゃれな人であるために

何ができるだろう。

 

 

鍛える?

 

 

.

 

4つのハネウマライダー

 

Twitterより以下から続く一連のまとめ。



 

晴一さんはギターソロのアレンジを

あまりしない、とずっと思っていたし、

もう少しいじったのも

聴いてみたいと思っていた。

 

リリースの形が完成形で

それこそが素晴らしいという思いだったのか、

アレンジャーさんに気を遣っていたのか、

もっと複雑な何かがあるのか…

それはわからないけど。

 

台湾ライブのハネウマライダー

2:45からの15秒間に晴一さんの思いが

すごく詰まってると思った。

音がものすごくキラキラしている。

楽しんでいる。

見せつけてやろうとしている。

たぶんだけど、

このソロのメロディーも晴一さん自身が

考えたと思う。

晴一さんぽいから。

違ってたらすいません。

 

聴こえるサウンドだけでなく、

メロディーの両方にそれを感じる。

それがすごく嬉しかったし、

生でこれ聴けてたら嬉しさで

意識飛んでたのではないかと思った。

そのぐらい、晴一フィルターを

通してくれた音が嬉しいと思ったし、

感動した。

 

晴一さんが自分で成長したと思えたから

アレンジをしてくれたのかとか、

たまたま台湾だし、

たまには気分でなのかとか

全くわからないけど、

こういう音が聴けるようになった今、

ずっとファンでいてよかったと思うし、

これからまだまだ好きになっていける

余地もあることを実感している。

 

幕張ver.のように、

曲丸ごと別アレンジもいいけど、

ほぼいつも通りと見せかけて

(同じ演奏なんかひとつもないけど!)、

ひねりが来たとき、

不意打ちに弱いファンは

胸を打たれて倒れそうになる。

良い意味で。

今回のツアーでもそういうの聴けるのかな。

楽しみです。

 

 

 

コーヒーが飲めない

 

 

コーヒーが飲めなくなって
たぶん2回目ぐらいの冬。
凍える手を自販機に伸ばせども
温かいものはコーヒーばかり。
いつか治るのかな。

 

味が嫌いなのではなくて、

身体が受け付けなくなった。

頭痛、だるさ、めまいなどに

悩むようになってしまった。

昔は1日三杯とか飲んでたのに。

まさかそのせいかな。

 

コーヒーの味は好きだし、

甘いの飲むより太らないので

デカフェおよびカフェインレスのものが

あるなら飲める。

気休めかと思ったけど

明らかに調子が違うので、

原因はきっとカフェイン。

 

ただコーヒーより玉露の方が

カフェイン多いらしいけど、

お茶類で症状が出たことない。

プラセボの逆みたいなものだったりして。

やだやだ。

 

 

 

 

怒りのロジック

 

怒るのが嫌いだ。

 

職業柄人を率いるので、

ダメなときには怒らないと

いけないわけなんだけど、苦手だ。

場合によっては年上相手に

怒らないといけないのも日常茶飯事だ。

でもそのときに自分は

それだけの仕組みを作れているだろうか、

と内省してやめるときも多々ある。

 

 

怒られるのも嫌いだ。

最近はなぜ言った(指示した)のに

行為をした/しなかったのかと

言われるのが嫌だ。

なぜそれをしたかの

単純な理由じゃなくて、

なぜ自分は言ったのに

それをしたのかってやつ。

答えようが無い。

「してもいいと勝手に判断してしまいました」とか

「優先順位を勝手に判断してしまいました」

とか、そういうのが答えなやつ。

まあ、始めからする/しなければいいんだけど。

  

で、

上司にポイントをいくつか聞いて、

若手数人で怒る練習をした。

なんか特定されても嫌だし

あんまり書かないけど。

一緒にロープレした

温厚な後輩たちが結構怖かった。

 

怒れなければ舐められる。

そうだな、怒らないで許すのは

舐められる。

その通り。

 

でもな、怒りたくないんだ。

余程のことがない限り、

周りで聞いててもいい思いしないし。

実際働き始めてほぼパワハラのお怒りも

何度か間近で聞いたし。

そんな怒り方もされた。

自分が悪いことは何度もあるけど、

納得できないことで

ものすごい怒られ方をされたこともある。

そうなると周りのパフォーマンスも

びびって落ちる。

 

そういうのを目の当たりにして、

本当に自分だけが正しいのだろうかと

考えてしまう。 

 

でもやっぱりダメだと思う。

こういうところ。

人のこと指摘できないのダメだと思う。

人にも自分にも甘い。

 

だからやっぱり

仕事が苦手だ。

怒らなくていい仕事、無いかな。

なんにせよ、生きていれば自分自身含め

誰かに伝えなければならない。

 

 

そしてここまできて気付く。

 

怒ってばかりだった自分に。

そんな自分自身が嫌だと思っている自分に。

 

ほんの数年前まで、

私は毎日ものすごく怒っていた。

外で無意識にたくさん溜め込んで、

家でわかってもらえないことがあると

すぐに怒っていた。

 

怒りたく無い自分と

怒らなければ壊れそうな自分が

入り混じって苦しかった。

外でものすごく溜めた分、

ある程度わかってもらえる家では

怒りの許容値をあっという間に突破してしまう。

甘えだ。

そんなの周りにはわかってもらえないし

尚のこと苦しかった。

そりゃそうでしょう。

我儘なんだけど、苦しかった。

でも周りを何度も悲しませたのも事実。

 

家を出たのは

それが嫌だったってのもある。

誰かを傷付けたり、自分も傷付いたりは

もういやだ。

 

そうだった。

一人暮らし始めたら、

誰にも怒らなくなった。

最近は実家帰っても怒らない。

その代わり自分自身を怒る力が増した。

それもあって鬱の診断一歩手前まできた。

 

 

そんな思いがある。

 

外で我慢を溜め込むこの性格が嫌いだ。

 

自分自身の考え方を変えたい。

怒りとの向き合い方を変えたい。

穏やかに生きていきたいだけなのに、

なんかうまくいかないや。

 

 

 

うまくまとめられなくなってしまった。

おわり。

 

 

 

 

 

歌上手くなりたいし

なんならもっと歌聞いてほしいし

そのためなら楽器も

弾けるようになりたい

 

こんなことを感じてるって

自分のフィルターを通した世界を

伝えたいから

文才だってほしい

同じく表現のためなら

絵だって描けるようになりたい

 

 

生きることなんかどうでもよかったのに

立ち直った途端に

叶えたいことが増える

(というよりこの欲が出ることこそが

立ち直りの現れ、

即ち 人間的な心なのかもしれない)

 

でも叶わないのもわかっている

やってみる前から諦めがついてまわる

 

なぜなら心に響く歌を歌う人や

素敵な音を奏でる人や

心を動かす文を書く人や

魂を揺さぶる絵を描く人を

たくさん知っているから

その人たちの生み出した物との距離を

感じては感動する傍ら悲しくなる

 

欲の力は罪深い

生きる力にもなれば

身を滅ぼす毒にもなる

 

こんなに切ないなら

なにも感じたくないと

振り出しに戻るわけにはいかないのに

副作用がまわるまわるまわる

 

この世のつらいこと

すべて遠ざけて生きていきたい

幸せだけに包まれていたい

裏切り駆け引き見栄

誰かを傷つけるそんなものは

必要ないから

純粋な気持ちで生きていたい

傷付きたくなんかない

薬をください

現実なんか見たくないよ

 

 

 

 

 

 

 

 

愛は名もなき日常の中に

 

 

笑ったり泣いたり怒ったり、

暑かったり寒かったり、

目まぐるしくてぶっ倒れそうで

誰かのことを

何かのことを

好きになったり嫌いになったり。

 

記念日でもない、名もなき日。

一年の大半がそんな毎日。

そんな日々でも確かに何かはある。

でもいつかそのほとんどを忘れてしまう。

 

忘れられなくなったこと、

忘れたくないこと、

記憶の点つなぎでおぼろげに

感情の形が見える。

点になれなかった君たちはどこへいくの。

 

しなきゃいけないことは沢山あって、

一つの出来事に、

一つの感情に、

とどまってはいられないから

口の中の食物を水で流し込むように

心の中の感情を流し込むけど、

流し込まれた君たちはどこへいくの。

 

名前を無くした者たちが、

ふと訪れた場所や

聞こえた音や

漂った匂いや

目に留めた文章、絵画をきっかけに、

思い出してと光り出したり

騒ぎ出したり痛み出したら

どうすればいいの。

 

 

一瞬暗闇で光った星たちも

広大な宇宙空間の中に

長らく存在していたとしたら、

 

心に刺さった一文は

無数の文字たちの上に

成り立っているとしたら、

 

思わぬところで受け取った愛情も

声にならなかった感情たちの

積み重ねで現れたとしたら、

 

 

名前のない世界へ旅立った

君に何ができるだろう 。