神の存在意義
以下は、とてもまとまりのないメモです。
世界史を高校で学んでいた頃から、いつかモスクへ絶対に行くと決めていたので叶って嬉しい。
世界史ものすごーく苦手だったけど、図録越しにも美しさは伝わってきた。
細かいことは覚えられない人間の琴線に触れたように、例えば文字が読めない人がいたとしても、こうして宗教は伝わってきたのだろう…。
実際に行ってガイドを聞いて思ったことを書き残す。
やはり幾何学模様が駆使された内装がとにかく美しかった。
アラビア文字も模様になっていて、すごく綺麗。
一つ気になったのは、文字が模様になってるのって違和感無いのかな?
となると漢字が近いのかな?
となると、例えば↓みたいな模様も、アラビア文字らしいけど、「介介介介」みたいな感じじゃないのかな?
お祈りについて。
お祈りは1日5回。
食事と同じとのこと。
生きていくために、身体には食事で栄養を入れる。
同じように精神のためにお祈りをする。
なかなか馴染みはないけど、理にかなってると思う。
神様の前では雑事は全て置いておいて、神様に向き合う。
そんな感じで何事もリフレッシュが必要だと思う。
仕事だろうがなんだろうが、神様の前では無効だ。
リフレッシュ(信仰だけど)が義務付けられてるのはいいなと思う。
モスクは鎮魂のための祈りの場所、という話も聞いた。
仏教もそうだけど、戦が多い場所には寺院なども多い。
人を殺めたときの罪悪感などを鎮めるためだろうと。
その命を供養する場所が無かったら、どんなに強い人も眠れなくなったりするだろうという話でした。
唐突に刀剣乱舞の話しますが、刀の付喪神たちの話なので、あの方たちは、ばんばん敵を斬る。
刀の神様だから、刀としての役割を全うするわけだけど、彼らも敵の存在や犠牲になった人を改めて考えたときに、眠れなくなったりするのかなと、悲しくなった。
ここまで書いて思ったけど、これ活撃刀剣乱舞のテーマだ。
心ある限り、弱さと戦わなければならない。弱さと向き合うときに神の教えという善行が心を救うのでしょう。
どこかに刀の神様を救える神様いませんかね?
救われなさに悲しくなってきた…。
ちょうどラマダーンだったので、その話も聞いた。
イスラム教は分け合う文化。
ラマダーンによって、貧しくご飯が食べられない人の気持ちを分かち合う。
日没後は、モスクでも食事を配給し、大人数で食事を分かち合う。
美味しく食べられる気持ちを分かち合う。
ラマダーンの間は喧嘩も抑えなさいという教えらしく、内戦も停戦するらしい。
(現代は少なくなってきているらしいけど)
喧嘩も抑えなさいという教えなんだって。
もっとたくさんいろいろ聞いたけど、大きく感じたことなどはそんな感じ。
とりあえず、一日中会議で部屋に閉じこもるよりは、義務としてお祈りタイム作りませんかねと提案したい。
緊急問い合わせ?知らんわ、今お祈りなんだよ!
って感じで。
みんなお祈りで一度頭冷やしたら、クレームなども減るんじゃないかな。
信仰は簡単なものではないけど、合理的な面もあるんだなということで、そう思いました。