和菓子屋的 愛情表現

あの日友達のままでいる選択をしてくれた過去の自分にありがとう。
そりゃあ、友情の先に行けたならもっとずっと会う頻度も高くなっただろうし、互いを特別な存在として愛する/愛されるが叶えられたかもしれないけど、そんな可能性はものすごく低かったし、そういう気持ちを伝えたときに今の友情さえ壊れてしまった可能性だってあった。そして周りの友人たちがそれを機に腫れ物に触るようになってしまったら更に最悪で。私は仲間の空気だって壊したくなかった。


その代わり壊れない友情に賭けた。精一杯愛情に近い友情を注いだ。この先も完全に壊れないなんて言い切れないけど、この形を守っていきたい。精神的にも物理的にも距離はこれ以上縮まらないけど、今、この近さが私には大切な近さだ。たまにみんなで会ってしょうもない話ができたり、顔を合わせて笑いあえたり、安心して近寄れたりするぐらいが丁度良い。
今付き合っている人と幸せになってほしい。その代わり私は友達として仲間とあなたと一緒に幸せになりたい。
そんなことを愛情を詰め込んだ友情に込めながら思っている。この感情に明確な名前は付けられない。もうここからこの人だけを特別に愛したかったり自分だけを特別に愛してほしい感情に戻ることは無いだろう。

それでも、もし次に誰かを特別に愛したかったり自分だけを特別に愛してほしい感情だと思えたら、内省ばかりしてないでもう少し距離を縮める行動した方がいいなとは思う。今のところ一番好きなのは二次元の彼だが、果たして三次元の人間に対してそう思うようになることができるかな…。

 

ここまでなるべく感情にラベリングをしないことを意識して書いた。完全には無理だけど。

というのも、人間の感情は恋愛感情として好き、友人として好き、だけじゃなくて無数の好きの形があると思っている。それは同性でも異性でも。なのに、二次元の創作の場に触れるようになってから、登場人物の関係性を明確にラベリングしなければならないという状況を見て、地雷回避のためにはやむを得ないのかもしれないけどそこにものすごく違和感があった。

ってことをとある場所で書いたところ、同意してもらえた上で、お約束やテンプレ的な要素は気楽に食べられる駄菓子屋、私が考えていたことは文学の思想を汲んだ和菓子屋って言葉をもらった。すごく面白い表現だった。どちらの良さもあるけど、私はどちらかというと和菓子屋の方が好きで、和菓子屋になりたいと思った。もちろん駄菓子も欲しくなることあるけど。

そんなことを考えていて、上の文章を書いた。本当はもらった言葉全文載せたいぐらい。

 

ちなみにこの話はほぼ誰にもしたことが無い。超恥ずかしいから。自分からこういう話はしないけど、今度からは頑張ってみる…。こうして書いたらなんか自分の人生も面白いかもと思ったんで。

ここに書いたコミュニティに所属する友人に見られると誰のことかたぶんバレるんでヒヤヒヤするけど、この日記はきっとバレてないはず…。まあいいや、バレてたらこっそり教えてください。

半匿名だから言えることってあるよね。

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